しじまの向こう

とある一般人の日記帳みたいなものです

今回の台風19号

ラグビーワールドカップで、日本を訪れている訪日外国人の方はどうおもったのだろうか…?

 

ふとそんな風に思ってしまった今回の台風19号

 

僕は多摩川から1km近く離れたところに住んでおり、雨風がすごかったこと以外には、ライフラインの停止もなく(電気は一時的に停電を2回起こしたが)無事にやり過ごすことが出来た。

 

しかし、僕よりも多摩川近くに住む友人からは、12日の夕方から浸水が始まっている被害報告を受けており、場所によっては僕のすぐそばで危機が差し迫っていることを強く実感させられた。

 

 

今回の台風19号であるが、台風自体というよりも、川の氾濫によって大きく被害が広がっていることが分かる。

もとより、江戸時代などにも文献で残っている通り、災害大国の日本において川の氾濫を避けることはできない。我々の現代技術をもってしてもである。

 

というよりは、自然が現代技術を上回ることは至極当然とも言えてしまうのかもしれない。我々の技術は過去の経験に基づいて研究・実験が行われて「安全」とレッテルを貼られているのだから。

 

もちろん現代技術に文句を言うつもりは全くない。日々便利すぎるとふと思うこともあるが、少なくとも僕がこうして生きていけるのは、現代技術のおかげなのだから。

 

 

さて、話を今回の被害に戻す。

 

やはり、大きな被害を加えた一番の原因は今回も「水」であった。

 

水による災害はとても恐ろしい。東日本大震災がその最たる例と言えると思う。

 

人は水害を生理的に嫌う傾向にあると思う。やはり水は溺れるものという恐怖心があるからなのだろうか、僕自身もいままでの水害を思い出すとぞっとしてしまう部分がある。

 

 水害を避けることはできないのか。答えは日本においては間違いなく「NO」

である。日本という国の性質上これは避けられない。

 

「数十年に一度の……」

 

このフレーズは最近聞き飽きてしまった。何ともおかしいことである。

数年すればこれが例年通りになってしまうのだろうか。いや、間違いなくなってしまうだろう。

 

西日本豪雨につい先日の台風15号の千葉での被害。非常に残念なことに、もうこれが日本のスタンダードになってしまったのだ。

 

世界規模の環境変化の速さにに我々の技術は到底太刀打ちできない。変化していく環境に災害をきっかけに少しずつでも適応していかなければならない。

 

我々に出来ることは、災害から学ぶことである。

 

我々には、電気がある。水道がある。しかしそれらを有効に使える知識がない。

その知識を増やすことこそが、これからの水害に対して我々が対策できる唯一の方法なのだと思う。これから迫りくるより大きな災害に対峙した時にきっと有効活用できるような。

 

日本全体の災害対策は、今の大人たちが必死に取り組んでいる。僕のような若輩者はその大人たちを見て、知識を携えて、そして新時代に対応できるようにしなければ、日本に住み続けることが出来なくなる日が来てしまうかもしれない。

 

ふと、そんなような危機感を感じてしまったので、書きなぐりではあるが今思うことを、ここにブログの記事として書き残しておこうと思った。

 

2019年10月13日